「この稽古が終わったら家に帰るの」
私が言うと 彼女はニコリともせず大きな眼で私を眺め
「雪に降り込められた マッチ売りの少女みたいな顔をしてるよ」
と言って 首に巻いた長いピンクのマフラーを外し
私の首に巻きつけて
「帰ってきたら返してよ」とぶっきらぼうに言うと
さっさと歩いて行ってしまった
夜の東海道線
藤沢を過ぎる頃から 車内はどんどんガラ空きになって
向こうの席の酔っ払い男を少し警戒しながら
私はマフラーに顎を埋めてじっと座っていた
本を読む気にもならず 窓の外は深い闇
海の側を通っているはず と目をこらしてみても
時折小さな波頭が闇に現れては消えていくだけ
あの夜 私はあのマフラーに縋って
どうにか凍えずに済んだのよ
胸を噛まれる窒息しそうな痛みに耐えられたのは
あのマフラーのおかげだった
ピンクのマフラー あなたの手編みだったのね
いつもキャンバス地の大きなバッグに
溢れるほど本を入れて歩いていた
はき古したジーンズにあのマフラー
卒業してからも新宿を歩くと
そんなあなたに出会いそうな気が長いことしていたわ
今ね またあの時みたいなマフラーが流行ってますよ
何だかあの頃のままのあなたが
故郷と言っていた能登の海を見ながら
またあの暖かい 長いマフラーを編んでいるような気がしています
